手形法においてこの文言が最も重要な意味を持つのは、「人的抗弁の切断」の例外を定める手形法17条ただし書(小切手法では22条2項)の場面です。
結論から言うと、手形法における「債務者を害することを知りて」とは、「手形を取得する際に、その手形金の支払いを拒絶される原因となる事実(前の所持者との間のトラブル等)が存在することを知っていて、それにもかかわらず手形を取得することで手形債務者(振出人など)が不利益を被ることを認識していた」という意味になります。
民法のケースとは「害される」内容の捉え方が全く異なるため、以下で詳しく解説します。


1. 前提①:手形の「人的抗弁」とは?

手形を振り出した人(振出人)や裏書した人(裏書人)が、特定の相手に対してのみ主張できる支払拒絶理由のことです。
具体例:
「商品を納品してくれる約束で手形を振り出したが、商品が届かない」(原因関係の不履行)
「騙されて手形を振り出してしまった」(詐欺による意思表示)
「手形を渡した相手に貸付金があり、それと相殺できるはずだ」
これらの理由は、あくまで当事者間の問題であるため、原則としてその相手にしか主張できません。

2. 前提②:「人的抗弁の切断」という大原則

手形は、支払いのツールとして社会を円滑に流通することが期待されています。もし、手形を受け取るたびに「この手形は大丈夫だろうか…?」と元の原因まで調査しなければならないとすれば、誰も安心して手形を受け取れなくなり、流通が滞ってしまいます。
そこで手形法は、手形が善意の第三者(=人的抗弁の存在を知らない人)に譲渡された場合、振出人などはもはや人的抗弁をその第三者に対して主張できなくなる、というルールを設けました。これを「人的抗弁の切断」といいます。
例えば、A社(振出人)がB社に「商品納入」を条件に手形を振り出したとします。B社が商品を納入しないまま、その手形を事情を知らないC社に裏書譲渡した場合、A社は「商品が届いていない」という理由でC社からの支払請求を拒むことはできません。

3. 本題:「債務者を害することを知りて」の意義【人的抗弁切断の例外】

ここからが本題です。手形法17条ただし書は、上記の「人的抗弁の切断」という原則の例外を定めています。

手形法 第十七条(抜粋) 手形により請求を受けた者は、振出人又は所持人の前者に対する人的関係に基く抗弁を以て所持人に対抗することを得ず。但し、所持者が其債務者を害することを知りて手形を取得したるときは、この限に在らず。

このただし書きが意味するのは、手形を取得した人が「悪意」であった場合には、人的抗弁の切断は認められないということです。
ここでの「債務者を害することを知りて」(悪意)とは、具体的には、「手形を取得する時点で、その手形に人的抗弁の原因となる事実があることを知っていること」を指します。
先の例で言えば、C社がB社から手形を譲り受ける際に、「この手形は、B社がA社に商品を納入していないのに振り出させたものだ」という事実を知っていた場合、C社は「悪意の所持人」となります。 この場合、A社はC社に対して「商品が納入されていないから支払わない」という人的抗弁を主張(対抗)することができ、支払いを拒絶できます。

4. 民法の「悪意」との決定的な違い

同じ「債務者を害することを知りて」という文言ですが、民法(詐害行為)と手形法では、認識の対象が全く異なります。

民法(詐害行為取消権)手形法(人的抗弁の切断)
文脈債務者の財産減少行為の取消し手形の流通性と支払請求
「害する」内容債務者の総財産が減少し、責任財産が不足すること。手形債務者が、本来支払いを拒めるはずの抗弁を主張できなくなること。
認識の対象債務者が無資力になるというマクロな事実。その手形に固有の支払拒絶理由が存在するというミクロな事実。
害される者債務者のすべての債権者(一般債権者)。その手形の債務者(振出人など)。

要するに、民法は「財産全体」の話、手形法は「その手形一枚」にまつわる固有のトラブルの話、と捉えると分かりやすいでしょう。

5. 立証責任

手形の支払いを拒みたい債務者(振出人など)の側が、「現在の所持人は、人的抗弁の存在を知って手形を取得した悪意の所持人である」ということを主張・立証しなければなりません。


まとめ

手形法における「債務者ヲ害スルコトヲ知リテ」は、手形の流通性を保護する「人的抗弁の切断」という原則を、悪意の所持人にまで適用するのは不当であるという、取引の公正を図るための重要な規定です。この規定により、事情を知って不正に利益を得ようとする者を排除し、本来支払いを拒めるはずだった手形債務者を保護する役割を果たしています。

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